2009年08月06日
広島原爆の日
今日は、64年前に広島に原爆が投下された日です。
私はこの戦争を体験していませんし、広島とは縁の無い身ですが、
毎年記念式典を見るたびに、原爆の被害にあわれた方達の悲しみが今も消えることがなく、
苦しんでいらっしゃるのを感じて涙が出ます。
長い間行かなければならないと思いながら、現実を正視する勇気がなくて二の足を踏んでいた広島に、
一昨年訪れる機会がありました。
記念公園を歩き、原爆資料館に入り、目をそむけることなく、全て見てきました。
言葉にはなりませんでした。
今更ながら、広島が今のように復興した事が奇跡のようにも思えました。
記念公園にある原爆死没者慰霊碑に書かれている、
「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから」
という言葉に、時々、「主語がわからない、繰り返さないのは誰なのか」
といった議論があると聞きます。
私は、この前で祈る一人ひとりが、自分自身に誓う言葉だと思っています。
自分もそうしてきました。
参列者の祈りの前に、麻生さんの選挙演説のような追悼の言葉が、、なにか寒々しく聞こえたのは私だけでしょうか。
私はこの戦争を体験していませんし、広島とは縁の無い身ですが、
毎年記念式典を見るたびに、原爆の被害にあわれた方達の悲しみが今も消えることがなく、
苦しんでいらっしゃるのを感じて涙が出ます。
長い間行かなければならないと思いながら、現実を正視する勇気がなくて二の足を踏んでいた広島に、
一昨年訪れる機会がありました。
記念公園を歩き、原爆資料館に入り、目をそむけることなく、全て見てきました。
言葉にはなりませんでした。
今更ながら、広島が今のように復興した事が奇跡のようにも思えました。
記念公園にある原爆死没者慰霊碑に書かれている、
「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから」
という言葉に、時々、「主語がわからない、繰り返さないのは誰なのか」
といった議論があると聞きます。
私は、この前で祈る一人ひとりが、自分自身に誓う言葉だと思っています。
自分もそうしてきました。
参列者の祈りの前に、麻生さんの選挙演説のような追悼の言葉が、、なにか寒々しく聞こえたのは私だけでしょうか。